毎年11月に開催されている、善福寺公園の上の池部分を丸ごと会場として用いた野外アート展、『トロールの森』。当サイトでも過去に何度か足を運んで記事にしておりますが(2015年・2017年)、その醍醐味といえば何といっても日常と芸術の境目が曖昧になることです。ただでさえ感傷的になり易い11月の公園でアート作品との偶然の出会いに期待し感性を尖らせる行為は、元々公園に存在する様々なものがアート作品に見えてくるという副次的な作用をもたらします。トロールの森は野外アート展でありつつも、闇雲に会場を野外に移しただけのアート展ではないのです。
2018年のテーマ『不在』
このトロールの森には年毎の全体テーマが定められており、たとえば一昨年の2017年は『Border』でした。一昨年のテーマは言われてみるとそうであったかというくらい存在感が希薄なものでしたが、2018年のテーマ『不在』はポスターのデザインにも織り込まれ、殊更に存在感を放っていました。不在を感じさせるためには、まず堂々とした存在感を主張しなければならないとでも言わんばかり。”そこに無い”ことによって”本来そこにある”ことを感じさせる。この難しいテーマがどのように解釈され、作品の形をとったのか。記事にするタイミングが大幅に遅れてしまった感もありますが、トロールの森2018を逍遥した感想、書きましょう。
会場の善福寺公園で散見された『不在』
トロールの森2018が開催された期間は、秋口に日本列島を襲った大型台風の爪痕が善福寺公園にまだ残っている状態でした。無惨にも折れて落下してしまった樹木の枝が所々積まれている状況。
日常的に公園を利用する人達にとっては、いつも見慣れている樹木の枝が落ちて欠けてしまっている事こそが一番切実な『不在』であったかもしれません。善福寺公園の樹木にも年寄りが多いですから、日々そこにあって元気な姿を見せ続けていてくれる事に感謝ですね。
かたや少し滑稽な『不在』を探し求めるのならば、2018年7月に利用が開始された、善福寺公園下の池側の親水施設、遅野井川親水施設。子供の姿が見当たらない、のは訪れた当日の天気が悪かったからでしょうが、この親水施設を管理する市民団体の名前が”遅野井川かっぱの会”ということからも窺えるように、この場所にはかっぱが出没してしかるべきなのです。残念ながら施設のオープン以来しばしば傍らを通りかかっているのですが、かっぱに出会えたためしはありません。しかしこれはかっぱがこの場所に棲息していないということではなく、あくまで不在であったと片付けるのが心持ち良い。
最近世間の風が冷たくなって、かっぱも出没しなくなったねぇ。そんなことをいつの時代にも語っていたいものです。あらゆる都会の殺風景はかっぱの不在なのです。
上の池会場『不在』アートの数々
本題のアート展部分です。善福寺公園が道路で2つに泣き分かれている北側の部分が会場の上の池になるわけですが、道路側から目立つ樹木に不動産屋の捨て看板が括り付けてありました。
モラルの『不在』かくありき、まことにけしからん。と思ったら、これもやはり今回のアート作品の一つらしく、物件見取図は善福寺公園そのものを示しています。アート展をひたすら斜に構えて見てやろうと思っていたのが一本取られた形となり、個人的には非常に満足。
上の池側に入ってすぐ、内田秀五郎像の近くの斜面にあったこの作品は、樹木の枝を使って水の流れを表現したものであるらしいのですが、”作品修復作業中”との看板が立てられておりました。どこが修復中なのか判別も付きませんでしたが、これもまたアート展の冷やかし客から一本取ってやろうという趣向なのかと、ついつい身構えてしまいます。
野外アートと公園の飾り付けの境界はともすれば曖昧で(昨年のテーマならば充分テーマを満たしていると言えましょう)、アーティストの方々がその辺りをどう解決しているのか見るのも鑑賞の醍醐味です。
何気ないベンチも今回の作品の1つであるようです。まさに作品が神出鬼没であるアート展。
公園のテーブルをダイナミックに用いたアート。片方は本当の作品で片方は偶然の産物です。どちらが作品だか分かりますか?
こんなくだらないささやかな問いを持つこと自体が面白いのです。
善福寺公園トロールの森の面白さ、伝わりましたでしょうか。鑑賞者によって目にしたアート作品の数が異なってくるアート展、毎年これを全力をもって愉しむようにしています。
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