Mr.Childrenと言えば、1990年代のJ-POPセールス黄金期にシングルが8作連続ミリオンを記録するなど、日本の音楽シーンの一時代を代表するバンドです。誰もが口ずさめるポップなサビのメロディと、一見相反するようなアレンジの奇抜さ、歌詞の内向性の組み合わせで、何故このバンドが他を圧して時代の王者に君臨したのか、答えがその時代の中にしか無いというような、真正のロックバンドです。
さて、そんなバンドですが、当ページの扱うテーマである、武蔵野三大湧水池エリアとも密接な関係を持っています。まず現在のバンドメンバーが出会ったのが、武蔵野市内のとある私立高校であったということ。バンドのヴォーカル桜井氏はさらに練馬区の貫井出身で、まあエリアに隣接していると言えないこともない場所です。バンドのデビューライブが吉祥寺のシルバーエレファントというライブハウスで行われたということ。シルバーエレファントはプログレッシブロックのバンドの出演が多いことで有名ですが、若手バンドのライブ開催にも積極的で、ここでデビューというバンドは結構な数に上りそうですね。
そして地元民には有名なエピソードですが、ヒット曲Tommorow never knowsの歌詞の一部が、桜井氏が石神井公園でジョギングをしていたときに浮かんできたものだということ。具体的には、”勝利も敗北もないまま 孤独なレースは続いてく”という部分だそうです。
当時のMr.Childrenの歌詞が、innocent worldに代表されるような社会による無垢な自分の摩耗を眺めるというテーマ中心だったゆえ、とりたてて石神井公園にシビアな世の中を見て取ったというわけではなさそうですが(笑)、あるいは導線のはっきりしたこの公園の人の流れが、桜井氏の歌詞へのインスピレーションへと繋がったのかもしれません。
Mr.Childrenでは歌詞のほかに、サビのメロディも桜井氏が考え、バンド全体でアレンジしていくという作曲方法だったようです。ジョギングのエピソードを聞いて思い当たったのは、いくつかの曲に共通してみられるはっきりとしたビートの取り方が、ジョギングの息づかいに似ているのではないかということです。innocent worldのサビ部分の4ビートは、長距離走者が行う4呼吸を一つの単位とした呼吸法に近いだろうとか、花 -Mémento-Mori-のようなスローテンポのバラードは、ペースを落としたジョグに近いのではなかろうかなどです。
もしそれらの曲のアイディアも、石神井公園エリアの風景をもとにして作られているのだとしたら、innocent worldに出てくる”陽のあたる坂道”や、花 -Mémento-Mori-の”ため息色した 通いなれた道”も、対応する場所がどこかに存在するのかもしれませんね。そんなことを考えながら走るのがなかなか楽しそうです。
innocent world収録の4枚目アルバム(広告)
花 -Mémento-Mori-収録の5枚目アルバム(広告)
Tommorow never knows収録の6枚目アルバム(広告)
花 -Mémento-Mori-の別ヴァージョン(『死を想え』-Mémento-Mori-がタイトルから外れた)がカップリングの2001年のシングル『優しい歌』(広告)
コメント
[…] 石神井公園には、人の流れも早く動的なイメージがある石神井池と、まさに動かぬ沼といった静的なイメージの三宝寺池があります。冬にこの静的な三宝寺池を散歩すれば、冬の空色が動かぬ水面に反射し、陰鬱な気分を煽りたてるでしょう。あるいは、勝利も敗北もない孤独なレースを思い浮かべてしまうかもしれません。 […]
やっぱりミスチルは思春期には外せないミュージシャン。あの社会現象になった空前のヒット時代は今でも強い印象を残してます。色々遠回りやら勘違いなどがなければ間違いなく、石神井公園に移り住みしるえれで下積みしてコンテスト受けたりしたかった…。これからでも全然ヤれるから、夢を捨てない限りはやってみたい。そう思う今日この頃でした。
“花”の日にそうしたコメント。今だからグッとくる歌詞というものもきっとおありでしょう。
ミスチルのようなアーティストがもはや現れなくなったのは、桜井氏がテーマとして歌った現代社会と個人との間の軋轢・苦悩といったものが最終解決してしまったからなのか。現代の若者がロックに片足突っ込んだポップ(ポップに片足残したロック?)をどのように聴くのかが気になりますね。
[…] Mr.Childrenの桜井和寿さんは石神井公園をジョギングしている最中に、ダブルミリオンを記録した曲『Tomorrow never knows』の歌詞を思いついたといい、この曲の背景には「厳しい社会の中で磨耗していく自分」がテーマとして歌われています。豊かな自然に溢れる石神井は普段都会の中で型にはめられている私たちがあるがままに過ごせる場所なのかもしれません。 […]