『グーグーだって猫である』 吉祥寺を舞台に2度映像化された作品

2014年10月より4週間連続、全4話という構成でWOWOWプレミアムにて放映された、宮沢りえ主演のドラマ『グーグーだって猫である』。吉祥寺在住の少女漫画家大島弓子の同名エッセイ漫画を原作としたこの作品は、井の頭公園にハモニカ横丁といった吉祥寺の有名スポットを使った撮影が、全編を通して行われた作品でした。

“グーグー”は2度映像化された

この作品の監督をつとめたのは、『ジョゼと虎と魚たち』などの作品で知られる、犬童一心監督。実はこの監督、まさに同じ”グーグー”を原作として、小泉今日子主演の映画を撮影し、2008年に公開しています。監督本人によるセルフリメイクにしても短い、わずか6年の間隔で公開された2作品。リメイクするに至った動機は果たして何であったのか、そして2作品に描かれる吉祥寺の姿に違いはあるのか、その謎に迫ってみましょう。

小泉今日子版の”グーグー”

映画版”グーグー”の概要

2008年公開の映画『グーグーだって猫である』。この映画は小泉今日子を主演として、上野樹里や森三中などテレビでも御馴染みの芸能人をキャストに撮影、公開されました。物語が始まってまずびっくりするのは、ヘビィメタルバンド”メガデス”の元ギタリスト、マーティー・フリードマン演じる奇妙な外国人が登場し、吉祥寺や井の頭公園の紹介を英語で始めるということでしょう。外国人向けの観光PRビデオを間違えて手に取ってしまったのだろうか、と頭が混乱してしまうこと請け合いです。
その後も物語の要所要所で、マーティー演じる外国人が狂言回しとして登場し、舞台となった街と公園の紹介を行います。PRビデオを形態模写した実験作のようにも見えるのですが、きちんとしたストーリーも存在しており、物語終盤のちょっとしたどんでん返しを経ても、なお捉えどころの無い作品という印象が残ります。
ストーリーの大まかな流れとしては、飼い猫を亡くして長いスランプに陥っていた漫画家が新たにグーグーという名前の猫を飼い始め、創作意欲を回復していき、また自身が大病を患い生死の縁に立たされたことで、かつての愛猫の死や新たな小さい命と付き合うことについて解答を出す、といった内容になっています。夜の井の頭公園の映像が、死に隣接した精神世界を幻想的に表現していましたね。

連続ドラマ版”グーグー”の概要

さて、昨年放映された”グーグー”。主演は宮沢りえに変更され、狂言回し役は不在であるものの、全編に印象的な登場をする人物であるホームレス男性を、田中泯が演じています。
ストーリーラインはやはり前作と同じく、愛猫の死をきっかけとしたスランプと病気の判明、そして小さな命との付き合い方の発見、となっています。4話構成ということで、映画版のように分かり易い盛り上げ要素がなく、主人公の気まぐれによって大筋のストーリーラインから脱線する話もあるなど、各話完結に近い形になっています。各話の切れ目があることによって、年月の経過も無理なく表現されていましたね。

宮沢りえ版の”グーグー”

映画版と連続ドラマ版の違い

先程も述べましたが、映画版の”グーグー”はとにかく撮影スポットについて説明的な語りが多い、PRビデオのような性質が見受けられました。吉祥寺や井の頭公園の名物的なものが登場すると、いちいち狂言回しのマーティーが登場して、英語で説明を入れてくれます。また、基本的に登場店舗は実名、もしくは看板を映すようなカットとともに登場します。大事なシーンでサトウのメンチカツについてインフォームすることが、どれほど物語の理解に都合するのだろう?映画館で鑑賞した人達の中では、きっとそうした疑問も浮かんだのではないでしょうか(大スクリーンの音響はさぞかしカツを揚げる音を引き立てたでしょうが(笑))。主人公の麻子が老人についての漫画を描こうと思い立った時、取材のため武蔵野市から老人の肉体を疑似体験できる器具を借りる、という場面にしても、自治体の取り組みを宣伝しようとして無理矢理に描写が入れられたように感じます。

リメイク動機はしがらみからの開放?

武蔵野市については、映画の公開に先立ちタイアップキャンペーンを各所で打ち、公開前にも関わらず、武蔵野市の振興に寄与したとしてキャストに友好市民証を授与していました。
そして、映画の協賛者としてクレジットされていたのは、大手デヴェロッパーの穴吹工務店でした。公開年に起こったリーマンショックと、その影響で翌年には会社更生法が適用されてしまったため、同社の協賛の意図を特定の物件やキャンペーンなどに結びつけることは出来ませんが、住みたい街吉祥寺のイメージを広めて、その恩恵にあずかりたかったのではないかと予想できます。

“グーグー”を連続ドラマでリメイクするにあたっての犬童一心監督のインタビューを調べてみますと、”もう誰にも何も言わせないで、好きなことをやるぞ”というような発言が見つかりました(Smartザテレビジョン)。そのような発言から類推するに、PRビデオのような部分は監督の意図ではなく、吉祥寺をPRする文言をマーティーに英語で喋らせていたのは、撮影&プロモーション協力者と協賛者からの注文に対して、監督なりに抵抗をし、表現へと昇華させていたのではないかと感じます。
ドラマ版でも、勿論吉祥寺や井の頭公園の名物・名店が登場しますが、店舗名は出さず、たとえば”五日市街道の蕎麦屋さん”といったような、実際そのお店を知っている人だけが分かるような表現が使われています。サトウのメンチカツは、店の前に伸びる行列がカメオ的に登場するのですが、実際これだけで店のPRには十分すぎるでしょう。

映画版当時は、吉祥寺作品も少なかった

現在でこそ吉祥寺の街は、映画やドラマ等の撮影舞台として引く手数多の状況になっています(そのわりに吉祥寺を舞台とした作品の視聴率は…あまり)。武蔵野市もフィルムコミッション事業を立ち上げて、吉祥寺で映像を撮りたい制作者と連携を行い、いくつもの作品を世に送り出しています。
一方”グーグー”の映画版が撮影された2008年頃は、まだフィルムコミッション事業も確立されておらず、吉祥寺を舞台とした作品も『俺たちの旅』以降あまり思い浮かぶものもないという状況でした。そうした状況でまごうことなき吉祥寺作品と言える”グーグー”がクランクインしたものですから、撮影協力や映像化にあたっての助言・要望など、武蔵野市側も力が入り過ぎてしまった、というのが意外な真相ではないかと、憶測をたくましくしておきましょう。

その他 6年を経た被写体の変化

同原作を同ロケーションで撮影した2作品は、6年の間を経て吉祥寺や井の頭公園がどのように変わったかの記録としても面白いものとなっています。吉祥寺駅は、改装工事によってその姿を新しいものへと変えています。アーケードのサンロードはパステルグリーンが基調色に。井の頭公園は、2作品の間にかいぼりを行って、おかげでドラマ版に登場する井の頭池はなんとか映像にも耐える色になっています(笑)。
ドラマ版の”グーグー”では、こうした街が見せる年月による変化を、つとめて映像に残そうとする意思も感じます。撮影する視点が、吉祥寺に点在するスポットをつなぎ合わせて活劇の舞台としよう、というものから、当然のように変わっていってしまう街の現在を、中の人間の視点で慈しみつつ切り取ろう、というものに変わっているのではないでしょうか。
以前も紹介したとおり、ドラマ版の”グーグー”では閉館が決定し取り壊される前のバウスシアターが登場しています。かいぼり直後の井の頭池の映像が収められていることといい、リメイク動機の一端に、街の変化のタイミングを記録したいという映像制作者の思いもあったのでは。

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