雲洞山月窓寺と吉祥寺

吉祥寺のドンは、やはりお寺のようです。ただし、吉祥寺ではありません。

雲洞山月窓寺

先年記事にいたしましたが、8月の第一土曜日日曜日には、サンロードのお寺月窓寺で納涼盆踊り大会が開かれます。
また、先年記事にし損ないましたが、10月の下旬に行われる月窓寺の薪能も大きなイベントで、時期になると吉祥寺サンロード商店街のお店中にポスターが貼られ、アーケード商店街のBGMもお囃子に変わります。

サンロードの月窓寺

サンロードの月窓寺

いくら月窓寺がサンロードに食い込んで存在する寺だからといって、サンロード中の商店を巻き込んで宣伝を行うのは、「商店街の私物化」にあたらないか、と憤りを感じる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、実態は真逆、言うなれば「私物の商店街化」なのです。吉祥寺の街と月窓寺の関係を追っていきましょう。

月窓寺の基本情報

月窓寺、正式名称雲洞山月窓寺は曹洞宗系の単立寺院です。吉祥寺の歴史は、1661年明暦の大火で焼け出された本郷の吉祥寺の門前町住人が、武蔵野の原野を開拓し入植したのが始まりです。その際に、吉祥寺の門前にあった四軒の寺も当地に移ってきました。現在でも「四軒寺」と呼ばれるこれらの寺は、安養寺、光専寺、蓮乗寺、そして月窓寺からなります。

吉祥寺駅のなりたち

四軒寺は原野の開拓者の一員であったため、周辺に広大な土地を所有していました。時は下り1899年、甲武鉄道(現在の中央本線)が中野駅と境駅(現在の武蔵境駅)の間に中間駅を建設する際に、新駅の場所として見込んでいた五日市街道との交点(本宿)が住人の反対により頓挫、そのとき現在の吉祥寺駅の土地を提供したのが月窓寺をはじめとする四軒寺でした。

吉祥寺の発展

吉祥寺はその後、関東大震災以降の移住者増加などにより、開墾の必要があった原野の姿から、重要な郊外都市へと姿を変えました。昭和41年には、当時の武蔵野市長後藤喜八郎の肝いりで、北口商店街(サンロード)のアーケード化など、商業地区の再開発が進められました。現在の吉祥寺の発展は、このような幾度かの変身を繰り返した結果なのです。

吉祥寺を掌握した月窓寺

さて、月窓寺に戻ります。このように順調な発展を遂げ、現在では公示地価の高さが有名になった吉祥寺の街ですが、サンロードやハモニカ横丁といった辺りの土地の所有者は、依然として月窓寺のままです。この月窓寺の土地を昔から借りていた商店主が、新たに吉祥寺で店を開きたいというオーナーに又貸しをして…というような構造になっているため、結局吉祥寺で店を営んでいくというのは多大なるコストにつながるのです。そして、新たに店舗を立て替えする場合は建築承諾料を月窓寺に支払わなければならない。この辺りが、ハモニカ横丁の再生プロジェクトでは垣間見えJINSの吉祥寺プロモーションでは戦略の中核となりといった吉祥寺事情です。
月窓寺が吉祥寺を掌握していることには、良い面もあります。吉祥寺で新規店舗開業しようとする人の傍らで、いきさつを眺めていた事がありますが、最終的に土地のオーナーである月窓寺の意向は絶対ということで、かなり厳しく利用の条件が出されていました。まさに、隅々まで目を光らせているということなのかもしれません。

その月窓寺、日本の宗教法人の納税番付で、トップ3入りを争う程儲かっています。四軒寺の他の寺も、番付ではトップ10入りを争う面子です。

吉祥寺駅の建設で困る甲武鉄道に親切に土地を提供したら、納税トップに躍り出るほどの長者になった。何やら仏教説話の創作にも困らない出来事であったかもしれません。

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コメント

  1. […] 吉祥寺の吉祥寺は、吉祥寺に無いということは有名な話です。1661年の明暦の大火で焼け出された本郷の吉祥寺門前町住人が移り住んだのが吉祥寺で、名前は吉祥寺なれど、吉祥寺自体は街にあらず。現在地名の元となった諏訪山吉祥寺は、本駒込に現存しています。 […]

  2. […] 商店街が足並みを揃えてお祭りをするということで、吉祥寺のドンたる月窓寺の祭礼にも少し通じるところがあります。実際このお祭りは、吉祥寺の商店街におけるもう一つの親的存在、武蔵野八幡宮の例大祭に合わせて開催されるもので、需要度はドンの祭りに比肩します。武蔵野八幡宮もまた、吉祥寺開拓の歴史において重要なプレイヤーなのです。 […]