善福寺と言えない事もありません。
吉祥寺の吉祥寺は、吉祥寺に無いということは有名な話です。1661年の明暦の大火で焼け出された本郷の吉祥寺門前町住人が移り住んだのが吉祥寺で、名前は吉祥寺なれど、吉祥寺自体は街にあらず。現在地名の元となった諏訪山吉祥寺は、本駒込に現存しています。
では、善福寺公園ならびに地名善福寺の元となった善福寺はどこにあるのでしょうか。これについては、善福寺公園周辺の地図を探せば、善福寺という寺院の名前がすぐに見つかるはずです。
ただ、この寺院は実は善福寺公園ならびに善福寺池の地名の元となった善福寺ではありません。この福寿山善福寺は、地名をとってのちに改名をした寺院だそうです。また、麻布山善福寺という江戸で二番目の古さともいわれる古刹も、善福寺池の善福寺ではないようです。善福寺池のほとりには、これらの寺とは異なる善福寺が存在していたようなのです。
新編武蔵風土記稿にある善福寺の記事
1804年から1829年にかけて編まれた、新編武蔵風土記稿という書物があります。昌平坂学問所が武蔵国の各地に報告を提出させた上で、実地調査も伴って完成させた地誌です。その中の野方領上井草村の記載として、「萬福寺、善福寺という2つの寺があったが、現在(地誌の書かれた時点)は廃絶している。善福寺は池の傍らの小高い丘の上にあり、池にはかつて橋が架かっていたため橋杭が残っている。大地震の際に池の水が溢れお堂が壊れ、そのまま再興することがなかったと土地の者は言っている」という内容があります。つまり、土地の者からの伝聞が主な内容で、筆者が直にこの善福寺の存在を確認したというわけでは無さそうです。
また、この内容で疑問となるのは、萬福寺の存在ですが、果たしてその寺はどこにあったのでしょうか。善福寺と一緒に地震の被害を被って廃絶したのかという疑問点も挙がります。
善福寺の痕跡はもう無いかもしれない
善福寺が池の端にあったのだとすれば、痕跡くらいは残されているのではないでしょうか。けれども、今となってはそれはわからないようになってしまったかもしれません。というのも、善福寺池は昭和5年の風致地区指定の際に、池の拡張を行い、また池の端には杉並浄水所を建てたからです。
池の名前の元となった善福寺は無くなれど、その名前が200年の後にも残り、地名や付近の寺院名として採用されているのは面白い話です。そもそも寺があったというのが上井草村の人間のでまかせだったとしたら、なおさら面白いと思いますがどうなのでしょう。
コメント