親之井稲荷をめぐるミステリー

娘は親の言いなりに嫁ぐのが嫌だったかもしれません。

親之井稲荷神社

先月始め、5月1日に、井の頭公園の神社が焼失したというニュースが駆け巡りました。しらせに接した多くの方は、神社と聞いて井の頭公園の弁天をまず思い浮かべ、焼失したのが稲荷の小祠の方であったと判明すると、焼失自体は残念なニュースと捉えつつもほっとして胸を撫で下ろされたのではないかと思います。井の頭公園の弁天の知名度は高く、またその霊験についても都市伝説と絡んで広く知られているからです。

焼失した親之井稲荷

焼失した親之井稲荷

でも、果たしてこのたび焼失した小祠の方が、井の頭の歴史とは縁もゆかりもない、取るに足らぬ小祠であったのかというと、そうとは言い切れない部分があります。調べれば調べるほど、あの小祠にも重要な意味があったのではないかという気になってくるのです。親之井稲荷をめぐるミステリー、少し語らせていただきます。

親之井稲荷の基本情報

親之井稲荷は、井の頭池上の小島にある井の頭弁天の、北東に位置した小祠です。創祀年代は不詳。ただ、安藤広重が描いた江戸の名所としての井の頭弁才天図には、この小祠らしきものは描かれていないので、抜群に歴史的由緒のある祠というわけではなさそうです。

在りし日の親之井稲荷

在りし日の親之井稲荷

稲荷信仰の基本情報

稲荷信仰といいますと、伏見稲荷大社や豊川稲荷のような、「お狐さん」のイメージが濃厚です。日本中に犬の糞程もたくさん祀られていると言われる稲荷ですが、有名な稲荷からただの小祠にいたるまで、神体をアイデンティファイするものとして狐のつがいが飾られています。また、伏見稲荷大社の千本鳥居を連想させるような、連鳥居と結びつく事も多々あります。
このようなステレオタイプとともに見られる稲荷ですが、狐は神体ではありません。あくまで眷属として神様に仕えている動物で、祀られている神様については、様々な場合があり一定していません。この混乱の元凶に、元々稲荷神として祀られていた神を無理矢理神道の神に充てようとする動きがあった事は確かですので、稲荷の前でどの神を拝めば良いか迷ったら、とりあえず「稲荷神」を拝んでおけば正解です。

ミステリー1:何故ここに稲荷があるのか

先程、稲荷に祀られているのは稲荷神という原則を話しましたが、稲荷神と言うのは、その名の通り稲の収穫の恵みをもたらしてくれる神様です。けれども、江戸時代に既に観光地的側面があったこの弁才天の傍らに、あえて収穫のご利益のある神様を祀る必要はあるのでしょうか。創建の経緯の謎は、一筋縄では行かないようです。

推論:多摩地方における稲荷の小祠の役割をしている?

そこで、この小祠が収穫のご利益のために置かれたのではないと考えてみます。井の頭公園のある多摩地方でよく見られる、屋敷神としての稲荷が祀られているのではという見方です。
すると、この稲荷の小祠における謎のいくつかが解消されます。弁天堂に対して北東の方角に祀られているのは、そちらがお堂に対して鬼門の方角に当たるからです。また、この小祠が弁天堂の方を向いており、その結果鳥居が水面ギリギリに設置されているというのも納得がいきます。小祠を必要とするのは屋敷の住人(?)ですから、屋敷側から拝む事が出来る配置になっていないと用をなさないからです。

でも、そうだとするなら、弁天堂は何故、あるいは誰の屋敷と見なされたのでしょう?そして、多摩地方の屋敷神ならば、そこに屋敷の住人の祖先神的性格を見いだす事も出来ておかしくないのでは?

ミステリー2:名称の謎

祖先ということでいうと、この稲荷の名称も気になります。親之井稲荷という名称の「親之井」というのは、誰かの親であることを示唆しているのでしょうか?
実際のところ、「親之井」という呼び方は、「井の頭」という名前と同じような、江戸の水脈の「親」であるという意味合いでつけられたものと言われています。有名な徳川家光の井の頭命名エピソードでは、この地が既に「七井」「親の井」と呼ばれていたのを、「井の頭」と新たに名付けたとされています。
井の頭弁天に向かって左手には、七井不動尊という不動が祀られており、これで「井の頭」「親之井」「七井」という名称が揃った事になります。ではこれらの名称は何故統一されておらずバラバラなのでしょう?

推論:三者三様の名称は、信仰の単純化への抵抗だったのでは?

先程稲荷神の話で出しました、ややこしい事情を少し説明します。江戸期が終わり天皇を国体と掲げた明治政府が成立すると、これまでの仏教と混じり合って混沌としていた神道を体系化し、国家宗教の装いに変えようという政策がとられました。
全国の小さい神社は潰して、一村一社に統合、神道の権威を高める。また、仏教と神道が入り交じった神宮寺を分離し、神道の神が不詳のまま祀られていた神社には祭神を充てる等。稲荷神がある時期を境に日本神話の神になってしまった経緯がここにあります。
そうした明治期の宗教改革の波は、井の頭弁天にも及んだということがわかっています。たとえば弁天への参道にあった鳥居は、弁天堂が仏堂とカテゴライズされたことにより、取り壊され、井の頭池の水門に転用されます。かなり手厳しい処置に思えますが、井の頭公園が明治維新後に帝室御料地となったこととも関係しているのでしょう。
それまで井の頭弁天に存在していた雑然とした信仰対象も、仏像という目に見えるイコンのあった弁天と不動の信仰という形で単純化されそうになります。
そこで、明治以前の井の頭弁天にあった、仏教の範疇に入らない信仰の部分を分けても活かすため、弁天堂の”屋敷神”というレトリックで親之井稲荷が作られたのではないでしょうか。

宇賀神という蛇体の神

井の頭弁天の神像は、関東地方の弁天の大元たる江ノ島弁天と同じく、頭にとぐろを巻いた蛇を乗せたタイプです。弁天像には他にも、琵琶を持ったサラスヴァティーの流れを汲むタイプがあり、七福神の絵図に描かれる弁天などは、この琵琶を持ったタイプがほとんどです。
弁天が頭に乗せている蛇は、宇賀神という名前で、歴とした単体の神様です。とぐろを巻いた蛇体に首がちょこんと載っている見た目は多少グロテスクなので、七福神の弁天にこれが書かれないのも納得がいきます。

先頃弁天堂の側に移動された井の頭公園の宇賀神

先頃弁天堂の側に移動された井の頭公園の宇賀神

この宇賀神の出自は仏教か神道か。実はこれは全く分かりません。ですが、仏教との関係で言えば天台宗がこの神を教学に取り入れ、また神道ではこの神を名前の類似性から、倉稲魂命(うかのみたま)という記紀神話に出てくる神と同一視し取り入れています。

宇賀神=稲荷神という受け皿もある

そして、倉稲魂命は伏見稲荷大社の祭神とされている関係で、稲荷神社で祀ることが出来ます。ですので、本来は蛇体の神である宇賀神の受け入れ先として、あたかも屋敷神のような稲荷の小祠が作られたのではないでしょうか。というのも、この井の頭池には捨ててしまうには惜しい蛇神にまつわるエピソードがあったのです。

井の頭池の蛇体の神

白蛇伝説

昔々、子供の無い長者が暮らしていたそうな。夫婦は子供が欲しいと思い、井の頭池の弁天に何度もお参りする。するとやがて美しい女の子を授かった。その女の子は首筋に3つの鱗が生えていたそうな。
娘にはやがて縁談が決まる。娘は井の頭弁天にお礼に参りたいと申し、井の頭池の弁天の前に詣でると、入水して、白蛇になってしまったそうな。

ヴァリエーションはあるものの、これが井の頭池の白蛇伝説です。3つの鱗は井の頭弁天の寺紋に描かれていますね。

たたり蛇伝説

もう一つの伝説は、死してたたりを起こす蛇神の話です。

昔々、井の頭池のほとりで一人の小僧が、蛇を鎌で殺してしまったそうな。すると、井の頭池の水は血のように赤く染まり、江戸の中心まで流れる神田川も真っ赤に染まってしまったそうな。

殺してしまうのは小僧ではなく旅人で、たたりは干魃というヴァリエーションもあります。

これらの話に出てくる蛇は、不動、弁天とは異なった、井の頭池という地域性と切り離せない存在です。2番目の話に象徴されるような、江戸の水源という事実による畏怖が信仰の基盤となっているのでしょう。井の頭弁天は、江戸の水源となって以来沢山の江戸っ子から寄進を受けてきましたが、寄進の対象が何であったかと言うと、やはり水源の象徴である、何かだったのではないでしょうか。

終わりに

ここで語ったストーリーは、裏付けも何も無い推測です。神仏分離の波から井の頭池の蛇神を救うために、宇賀神を経由して親之井稲荷が生まれたという、荒唐無稽な話です。しかしながら、親之井稲荷が何故弁天堂の北東に建ち、弁天堂の方を向いているのかという謎に、愉快な解釈を与えてくれるのではないでしょうか。また、そうして見ると親之井稲荷が、一層愛おしく見えてくること請け合いなのです。

(2014.4.30追記)
事件から一年経過、一向に再建されない親之井稲荷神社について気になったので、公園事務所に問い合わせてみました。記事はコチラから。

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コメント

  1. […] (※弁天池でかいぼりが行われない理由は、弁天池部分の護岸が崩れる可能性があるので、調査のため見送りとなったからだそうです。決して、井の頭池のヌシの許諾が取れなかったからという理由ではない筈です。多分。) […]

  2. […] 昨年ゴールデンウィーク期間中の5月1日深夜、井の頭公園内の稲荷の小祠が燃えているとの住民通報があり、駆けつけた消防隊員によって火は周囲に燃え広がる前に消し止められました。しかしながら、火元となった小祠、「親之井稲荷神社」は全焼する憂き目に遭ってしまいました(昨年書いた記事)。 […]

  3. 松本 より:

    2014年4月に吉祥寺南町に家族で引っ越して来たものです。
    以前から氏神様によくお詣りしていた習慣もありまして、
    井の頭弁財天様にも引っ越し以来よく詣っています。
    4月頃は焼失した状態で稲荷神社もありましたが、
    最近になって取り壊されたようです。
    焼失のまま一年あまり放置されていたことは、
    後になってしりましたが、何とも残念な気持ちで
    気になっていました。
    跡形もなく取り壊された状態を見て、
    さらに再建して気持ちが強くなっていたところ、
    こちらのサイトを拝見した次第です。
    再建に立ち上がってる団体などがあれば、
    些少なりとも協力したい気持ちです。

    • admin より:

      こんにちは。
      私がいつも井の頭公園を回るコースからは外れているため、コメントでご報告いただいて初めて親之井稲荷神社が取り壊されたと知りました。確認に訪れてみるとまるで最初から何も無かったかのように鮮やかに撤去されてしまっており、神社の存在を知る者にとってはなんともモヤモヤとしてしまうところですね。たびたびお詣りに訪れられていたというならば、なおさらのことでしょう。
      再建の計画があるのかどうかは、公園事務所に確認をとってみる必要があります(少なくとも個人的にはそのような動きを耳にしていません)。ですが、以前問い合わせてみた際の口ぶりですと、誰が再建するかに関わらず、再建後の所有者が誰になるのかということと(公園側は所有者になれません)、管理責任を誰が負うのかという部分でややこしくなるという事。
      取り壊しの後、最低でもどちらかに合祀されていれば良いのですが…心ない扱いを受けていない事を望みます。
      現状神社がなくなった事を認識したという段階ですので…情報としてはあまりお役に立てずにすみません。

  4. […] この場所を通りかかると、いつも供えられた花を見かけます。放火により焼失してしまってから2年が経とうとするところですが、なおも忘れ去られることなく、信仰の対象となり続けているようです。焼失後1年の間は、焼け残った姿でそのまま放置されており、現場への立ち入りも制限されていたのですが、そうした状態は異常であったのだと改めて思い知らされました。 […]