三大湧水池の中で最も広い井の頭公園(約387,000平方メートル)は、第一次世界大戦のさなか大正6年(1917年)に開園しました。正式な名称を井の頭恩賜公園というのは、もともと皇室財産とされていたものを当時の東京市に下賜するという形で一般公開なったという経緯によるもので、さらに遡って江戸時代には幕府の御料地でもありました。
井の頭公園の大部分が属する三鷹市の名前に見られるように、当時このあたりは将軍が鷹狩りをする場所に選ばれるほど未開発の原野でした。同時に江戸の町の水道を担った神田上水の源流でもあり、現在も残る弁財天の信仰は江戸期に隆盛を極め、様々な文人が寄進を行っています。
当地の弁財天の由緒は、平安時代中期に源経基が最澄作の弁財天女像を納める為に建立したといわれ、その後源頼朝が戦勝記念に改築を行ったが、長らく荒廃していたものを江戸の三代将軍徳川家光が再建したというものです。井の頭の名前も、家光が水の美しさを「えんかしら」と讃えたからなどという珍説があります。
公園は井の頭池を中心とした東側のエリアと、吉祥寺通りを渡って西側にある井の頭自然文化園に分かれ、さらに南側に屋外スポーツ施設と三鷹の森ジブリ美術館を有します。
最寄りの鉄道駅は京王井の頭線の井の頭公園駅で、公園の東の端に位置するこの駅は井の頭線内で最も利用人数が少ないものの、花見の時期の休日には急行も臨時停車し、利用客の一年のピークを迎えます。吉祥寺駅からアクセスする場合は、南口から井の頭通りを渡り丸井の横を抜けて公園に下りるというのが最も近い行き方ですが、井の頭池の西側あるいは自然文化園に行く場合は、駅ビルのアトレを西に歩き、吉祥寺通り側の出口から出て南に行くと入り口にあたります。なお調布方面から吉祥寺に向かうバスの、公園入口バス停はこの入り口の側になります。
車で来園する場合には、吉祥寺通り沿いに60台程停められる有料の駐車場があります(1時間400円)。自転車の場合は井の頭公園駅の東に無料駐輪場があるものの、駐輪可能台数は少なめで公園の中心からのアクセスもあまり良くありません。それならば公園内に停めてしまえという発想に至るかもしれませんが、放置自転車は撤去も多いようなので、なるべく自転車の近くを離れないようにしているのが良いかもしれません。
井の頭池の一周は1.6kmほど。疲れた時は池の周囲に沢山あるベンチで休んで、絶えない通行人を眺めるのも楽しみ方の一つです。特に犬連れで来られる方が多いので、会話の切っ掛けには事欠きません。訪れる方々の年代・国籍ヴァリエーションも豊かなこの公園は、ひとつの池を中心とした狭すぎず広すぎない大きさが、すれ違う人とのコミュニケーションの予感を授けてくれます。それが井の頭公園の特長で、人気の秘訣なのかもしれません。
コメント
[…] 井の頭公園の基本情報で紹介したとおり、井の頭の名前の由来については、江戸の三代将軍家光が当地に鷹狩りに訪れ、湧き水や景勝を大層褒め名付けたという言い伝えがあります。また、井の頭公園の七箇所の湧き水のひとつ、お茶の水の名前については、徳川家康がこの水を使ってお茶を点てたという言い伝えがあります。それ以前にそうした名称が全く無かったのかどうかは不明ですが、将軍家がこの地にしばしば足を運び鷹狩りをしていたというのは確かなようです。 […]
[…] まずは井の頭公園のイメージです。基本情報に書いたことをなぞるのですが、この公園はとにかく休日平日を問わず人が多く、さらに来園者の年齢、性別、国籍の分布が本当にフラットです。このおおぜいの人達は、一体この公園に何を求めてやってくるのでしょう?ふとそんな疑問が湧きます。 その答えですが、おそらく井の頭公園にやってきたおおぜいの人達を見て、「この人達は何を求めてやってくるのだろう?」と思い巡らすためにやってくるのではないかと思います。井の頭公園の主役はあくまで人で、一見なんの目的も無く公園にやってきている人も、そんな主役達を見に来て、同時に主役の一端を担うことを楽しんでいるのではないかと思います。 そういった人の集まり方をする場所には、自然発生的に市が発生します。現在こそ許可制となっていますが、昔から井の頭公園には地面にシートを敷いて鎮座して物を売る人々や、弾き語りをするミュージシャン、パフォーマンスをする芸人などの人々が、誰が集める訳でもないのに集まってきました。何故それが可能だったのかというと、この公園に集まる人々が他人に無関心な人間ではなく、基本的に人との触れ合いを求めに来る人間だったからというわけです。 そんな井の頭公園を一言で表すなら、”人になりにいく公園”ってところですかね。勝手イメージですが、弦楽器で例えると酒の席の余興として座のみんなに回されるフォークギターってところです。 […]
[…] 祖先ということでいうと、この稲荷の名称も気になります。親之井稲荷という名称の「親之井」というのは、誰かの親であることを示唆しているのでしょうか? 実際のところ、「親之井」という呼び方は、「井の頭」という名前と同じような、江戸の水脈の「親」であるという意味合いでつけられたものと言われています。有名な徳川家光の井の頭命名エピソードでは、この地が既に「七井」「親の井」と呼ばれていたのを、「井の頭」と新たに名付けたとされています。 井の頭弁天に向かって左手には、七井不動尊という不動が祀られており、これで「井の頭」「親之井」「七井」という名称が揃った事になります。ではこれらの名称は何故統一されておらずバラバラなのでしょう? […]