吉祥寺で古くから営業するスーパー三浦屋ですが、2012年10月1日よりスーパーいなげやの完全子会社になるというニュースが飛び込んできました。
吉祥寺の街をあまり知らない方、知っているが住んではいない方などにすれば、これもまた凡百のニュースの一つにすぎないかもしれません。が、三世帯、四世帯家族なども多い吉祥寺の住人からすれば、吉祥寺の街に不思議に残り続ける聖域のようなものが崩れて、他と代わり映えの無い街へと変わっていくのではないかという不安が去来するニュースでありましょう。
三浦屋というスーパーは、大正13年、吉祥寺の地で創業しました。その後実に80年以上の長きにわたり吉祥寺で営業を続け、地元の人々からは親しみを込めて三浦屋さんと呼ばれています。他の地域への出店としては、西は国立から東は永福町までの、吉祥寺周辺圏の7店と、飯田橋のランドマーク商業ビルラムラの中の一店があります。取り扱い品が高級感のある食材中心であるため、基本的には中高所得者の多い住宅地を中心に出店をしており、成城ブランドの威光に助けられて拡大していった成城石井の、吉祥寺ブランド版と言えるかもしれません。
その三浦屋を買収する事になったいなげやは、明治33年に立川に鮮魚商として開業し、昭和31年に多摩地域では初のスーパーマーケットを出店しました。関東地方で140店以上の出店があり、とりわけ西武線沿線や青梅線以西などの立川を中心とした交通圏に強い印象があります。
今回の買収でいなげやが獲得するエリアは、東には西武線沿いに練馬、杉並と出店していったいなげやの空白地帯とも言える部分です。今後はこれまで出店が難しかった高級住宅街エリアに、三浦屋のブランドやノウハウを使って攻勢をかけていくという展開が予想されます。そしてそうなった場合、もはや三浦屋の出店圏の中心は吉祥寺ではなくなるのではないでしょうか。
このニュースには、多摩地方の盟主立川の躍進というイメージよりも、吉祥寺という引力圏の緩やかな消失の印象を強く受けます。これが新たな引力への刷新を伴った消失であるのかどうかはわかりませんが、域外者から見た不思議の減少はまこと悲しむべき事です。
(2015.2追記)
コピス地下の三浦屋はそのまま、今度は丸井の1Fに『三浦屋グルメ』というミニショップが入居してくるそうです。高級感を活かして、紀ノ国屋のようにテナントブランドとして展開していくのでしょうね。
コメント
[…] まず、吉祥寺ブランド圏いまだ死せずという明るいニュースであるという事。三浦屋のいなげやによる買収ニュースで書いたとおり、確かに吉祥寺の影響圏というものは東西南北に存在するのです。 […]
[…] かつて吉祥寺ブランドの高級スーパー三浦屋が入居していた、サンロードのファミリープラザ。地階にはなかなか地元的ディープな店が集まっていたような気がしますが、今年の2月、ぼてぢゅうのあった場所に日本酒バーがオープンしました。 […]
三浦屋さんがサンロード店があった頃によく利用しましたねぇ。
それから高級スーパーは紀ノ国屋とザ・ガーデン自由ヶ丘・吉祥寺店がオープンしましたが、
今では、吉祥寺では高級スーパーの分野ではこの2店が幅を効かせていますねぇ(笑)
サンロードの三浦屋さんも、今では随分と懐かしいですね。カルディなんかがまだ無かった頃には、怪しげな輸入食材の調達元でもあったとか(笑)。
テナントブランドとして身軽になった三浦屋が、吉祥寺発の高級スーパーとしてその2店の牙城を切り崩していくことを期待したいです。