三湧水池の基本情報が出そろったところで、早速イロイロな部分を比較していきたいと思います。記念すべき第一回は、公園の雰囲気♪と題して、それぞれの公園にもつ個人的なイメージを書いてしまいます。独断偏見の感想ですが、これらの公園を知る人の65%くらいが「あ〜そうかもね」と同意してくれるような、そんな紹介を目指したいと思います。
井の頭公園 〜公園に来る人が主役の公園
まずは井の頭公園のイメージです。基本情報に書いたことをなぞるのですが、この公園はとにかく休日平日を問わず人が多く、さらに来園者の年齢、性別、国籍の分布が本当にフラットです。このおおぜいの人達は、一体この公園に何を求めてやってくるのでしょう?ふとそんな疑問が湧きます。
その答えですが、おそらく井の頭公園にやってきたおおぜいの人達を見て、「この人達は何を求めてやってくるのだろう?」と思い巡らすためにやってくるのではないかと思います。井の頭公園の主役はあくまで人で、一見なんの目的も無く公園にやってきている人も、そんな主役達を見に来て、同時に主役の一端を担うことを楽しんでいるのではないかと思います。
そういった人の集まり方をする場所には、自然発生的に市が発生します。現在こそ許可制となっていますが、昔から井の頭公園には地面にシートを敷いて鎮座して物を売る人々や、弾き語りをするミュージシャン、パフォーマンスをする芸人などの人々が、誰が集める訳でもないのに集まってきました。何故それが可能だったのかというと、この公園に集まる人々が他人に無関心な人間ではなく、基本的に人との触れ合いを求めに来る人間だったからというわけです。
そんな井の頭公園を一言で表すなら、”人になりにいく公園”ってところですかね。勝手イメージですが、弦楽器で例えると酒の席の余興として座のみんなに回されるフォークギターってところです。
善福寺公園 〜古代から続く静謐な時間
お次は善福寺公園です。この公園は他の2つの公園に比べると存在がマイナーで、来園者は近所に住む子供や主婦、それにお年寄りが中心です。絵を描かれている方や、写真を撮られる方、楽器を練習される方など芸術家風の方を見かけることも多いですが、他の公園に比べて際立って多いというわけではなく、来園者の母数が少ないために目立って印象に残るのかもしれません。
善福寺公園のある場所は住宅街が続く中で窪地になっており、坂を登りきった最高地点に青梅街道があるからか、遠くの音が指向性を感じさせず聞こえてくる独特な音響空間を持っています。そのことが周囲の木々の高さと相まって、都会の中での隔絶された秘境の雰囲気を演出しています。近所に住んでいるわけでもなくこの公園に集まってくる人達は、そうした独特の秘境感に魅力を感じているのかもしれません。
さて、この公園の勝手イメージですが、弦楽器で例えるとキタラやバラライカのような、一音一音に深みがある楽器がふさわしいと思います。他の来園者との賑やかな雰囲気を楽しむのではなく、ひとりの人間として耳を澄ませてみたときに、その行為に応えてくれるものがある、そんな公園であるように思います。
石神井公園 〜魔窟?
決して三段話のオチに持ってくるという意図は無いのですが、個人的に石神井公園を評するなら、”魔窟”です。室町時代には豊島氏の居城、石神井城が存在していたということもあり、このエリアには来る者を煙に巻いて途方に暮れさせるような防御力が備わっているような気がします。古くから存在する石神井公園の本体、三宝寺池をひとまわりしてみるとわかりますが、整備されない自然のままの部分が良く残っていて、武蔵野の植物の生命力が強く表れています。実は三宝寺池の中の島にある植物は、沼沢植物群落として国の天然記念物に指定されており、水辺観察園でこれらの植物を観察できるようになっています。そうした理由もあって、三宝寺池は一見すると沼のような妖しい顔を見せるのです。
来園者もこうした自然の力強さや妖しさを求めてやってくるのでしょう。カメラを持った壮年の男性というのも、この公園では良く見かける客層です。人の多さは善福寺公園とは段違いで多いのですが、石神井公園の場合石神井城に関連した”歴史”や、天然記念物に代表される”自然”というわかり易いところに来園目的ができてしまい、見るものを見て通り過ぎていく人が多いような感じもします。全体的に来園者の導線がはっきりしていて、歩行速度も他の2つの公園に比べて速いような気もしますね。
石神井公園を本当に楽しむには、来園者の導線に絡めとられない自分だけのお気に入りスポットを確保する気持ちが必要かもしれません。
勝手イメージは、弦楽器で例えるのなら三味線です。実際に園内で三味線の練習をしている方もいらっしゃいましたが、こういう人は自分スポットの上手と言えるかもしれません。
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