吉祥寺駅北口駅前広場にゾウのはな子像が登場

2017年のゴールデンウィークは、1917年5月1日に開園した井の頭公園の100周年にあたるタイミングということで、公園のある武蔵野市と三鷹市が例年以上に企画を用意して張り切っていた感があります。井の頭自然文化園と吉祥寺のシンボルであったアジアゾウのはな子は、生きていれば100周年イヤーに70歳を迎えていたはずなのですが、惜しくも昨年の5月26日に亡くなっています。もし生きて100周年を迎えていた場合でも、このタイミングで彼女を顕彰する像ができていたのか分かりませんが、喫煙所を取り去って風景が寂しくなっていた吉祥寺駅北口駅前広場に5月5日、ゾウのはな子像がやってくることになりました。

はな子像の除幕式

5月5日(金)の朝9:30より、駅前広場で銅像の除幕式が行われました。除幕式は早めの時間に開始されたのにも関わらず、大勢の見物客と報道陣が詰めかけ、一大イベントの様相を呈していました。

北口ロータリー内にゾウの姿が

北口ロータリー内にゾウの姿が

実はこれははな子バルーンで、銅像ではありません

実はこれははな子バルーンで、銅像ではありません

北口ロータリー内特設ステージ

北口ロータリー内特設ステージ

吉祥寺の新名物 はな子の像

吉祥寺の新名物 はな子の像

この立派なはな子像を制作するために、1800万円以上の募金が集まり、うち1360万円が像の制作費となりました。像の傍らには花が2つ。写真に映っている”Royal Thai Embassy”というのは、タイ王国大使館からのもの。そしてもう1つ、”Sarasas Family”と書かれた花がありました。この花の贈り主が誰であるか、はな子のファンであれば即座に思いつくところでしょう。

ソムアン・サラサス氏とゾウのはな子

と言っておいて私も、恥ずかしながら昨年はな子が亡くなるまで氏の存在を知らなかったのです。”Sarasas Family”とは、敗戦国となった直後の日本を元気づけようと、私費ではな子を日本に贈り届けたソムアン・サラサス氏の家族のことです。はな子の生前に私が知っていたのは、タイ王国からはな子が敗戦直後の日本に贈られ、日本中を巡ったあと井の頭自然文化園によって受け容れられた、という程度の話でした。そうしたストーリーを耳にして、タイの人々はとても友好的なのだなと。けれども、はな子を日本に寄贈するという決断はタイの人々の総意というよりも、青年期に日本に亡命し、戦後はタイ王国からの戦時貸与金返還交渉団顧問の立場で来日したサラサス氏の一存によるものであったのです。サラサス氏は戦時貸与金の返還についても、当時国力を失っていた日本の返済額を40分の1に圧縮するよう本国に働きかけてくれました。全ては敗戦後に戦前とうってかわって惨めな姿を晒していた日本に対する、憐憫の情からです。そのような経緯を知っていると、タイ本国からも募金があったというはな子の銅像制作プロジェクトに対して、奇を衒うことの無い立派な像が出来上がってくれたことはひとまずの安心ですし、今後この像を吉祥寺の街がどのように扱っていくかについて、大きな責任も生じるであろうという気がします。

はな子像にはまだ仕事をしてもらわないといけない

はな子の一生のストーリーの中には、かつて殺人ゾウとして誹りを受け石を投げつけられたということや、死の直前にあるカナダ人のブログ投稿を切欠としてタイの人々を中心に可哀想な飼育環境におかれたはな子を返還してもらおうという運動が起きたことなど、暗い側面も含まれます。そうしたことを戦後の高度経済成長期を経て一転裕福になった日本人が、「仕方の無いこと」「なんでもないこと」と片付けてしまっていたこと、タイの人々の目にはまた別の映り方をしていたのではないだろうかと思いを巡らさずにはいられません。除幕式には故ソムアン・サラサス氏の三人のご子息が参列し、氏の三男であるシナバス・サラサス氏が、ゾウのはな子は「立派に仕事をやり遂げた」とたたえられたそうです(jiji.com)が、もしはな子の仕事というのが敗戦後絶望の中にあった日本人に、戦勝国と敗戦国という立場の違いがあっても痛みを共有し手を差し伸べてくれる存在がいますよ、と伝えることだったとしたなら、そうして恩を受けたことを忘れ独力かあるいは偶然の積み重ねにより戦後復興を成し遂げたと考える人々が増加すれば、その仕事は完全に忘れ去られてしまうことになるのだろうと思います。

ある意味井の頭自然文化園内という奥まったスポットから、はな子というアイコンが吉祥寺駅前の誰もが目にするところに進出してきたとも言えます。この像を切欠として離れた世代間で戦後日本がたどってきたストーリーが共有されると、はな子も浮かばれると言えるのではないでしょうか。

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