善福寺珈琲江ノ屋 十字路の酒屋が始めた珈琲豆店

十字路 グルメ
お店の方と話し込んで去り際につい撮ってしまった

立派な十字路を調べてみると、意外な歴史があってびっくり。

善福寺のGoogleマップに突如ポップした珈琲豆店

趣味柄、武蔵野三大湧水池エリアをよく散歩するのですが、その際のお供にタブレットのGoogleマップを使って寄り道の可能性を模索したりします。少し歩き疲れたときには近くに喫茶店が無いか検索して、営業中ならばそちらに行き先を変更します。そしてそんなことばかりやっているとマップの方から探すまでもなく珈琲関係のお店をオススメしてくれたりして、とうとう小休止の誘惑ばかり表示するマップを持ち歩くようになってしまいました。
さて先日、というには結構前の話なのですが、善福寺公園付近を歩いているときにふとマップを取り出すと、およそ店舗など存在しなさそうな住宅街の真ん中に”江ノ屋 善福寺珈琲”というシンボルが表示されるようになったことに気付きました。

江ノ屋 善福寺珈琲

東急百貨店の中にはたしか井の頭珈琲というお店があり、吉祥寺通りには吉祥寺珈琲があり、井の頭公園の傍には以前当サイトでも紹介させていただいた武蔵野珈琲店があり、とご当地地名の〇〇珈琲というお店は数多くあるのですが、それがついに善福寺の名を冠した(地名によるアピール力があるのか無いのかわからない)珈琲店ができたのか、ということで興味を持ち現地に向かいました。するとそこには、酒屋の店内を間借りする形で営業する珈琲豆店があり、『善福寺珈琲江ノ屋 酒類販売大坂屋大塚酒店』と書かれた看板が掲げられていました。

酒屋店内の半分を占めようかという焙煎スペース

この江ノ屋、というお店は元々この地で昭和48年より営業している大坂屋大塚酒店という酒屋さんに代替わりがあって、その際に酒類販売は続けながら新しい事業としてコーヒー豆の販売を始めたということです。その辺りの詳しい経緯はお店の立派なホームページを見ると書いてあって、読むとつい応援をしたくなってしまいます。目を引くのは店内の右側が酒屋、左側が珈琲豆屋と分けられていて、豆を焙煎するための大きな焙煎機がでんと陣取っていることです。
珈琲豆の販売はお店のブレンドの他に、珍しいところではエチオピアのゲイシャ種G3なども取り扱っています。エスプレッソをカップでテイクアウトすることも可能で、善福寺公園からの距離も近いので公園散策のお供にも最適でしょう。

お店の立地の謎

さてこれだけですと普通のお店紹介の記事なのですが、このお店を利用していてつい気になり過ぎてしまったのが、お店が位置するあまりに立派すぎる十字路です。

十字路

気になる十字路

一度でもこのお店を訪れてみると感じることだと思いますが、特に主要な道路同士が交わる場所というわけでもないのに十字路が不相応に立派過ぎます。立派に見せている理由というのもすぐに判明するのですが、十字路の切り欠き部分に建っている建物(このお店大塚酒店も含みます)が間口を道に対して斜めに向けた独特の形状をしているのです。

江ノ屋 善福寺珈琲

そもそもこの住宅がぎっしり立ち並んだエリアに立派な十字路とお店があるということもイマイチ理由が判然としない。この辺りでこういう不自然な地割りを目にしたとき真っ先に思い浮かぶのは元々川が流れていたのを暗渠にした、という事例なので、何か手掛かりがあるかと思い古い地図と現在の地図を比較できるWebサービスの今昔マップ on the webに答えを求めました。すると…

十字路の今昔

十字路の今昔

左側に表示されているのが昭和4年(1929年)発行の地図なのですが、細長い建物がずらっと並んだ区画の真ん中に、十字路の痕跡が見て取れます。つまりこの十字路は重要な道路同士が交差した場所に必然性をもって作られた十字路ではなく、区画の中に人工的に作られた十字路なのだと推測ができるのです。

ではこの区画がいったい何だったのかというと、どうやら大正12年(1923年)に発生した関東大震災で被災して住居を失くした人達のためにあてがわれた同潤会の木造長屋造の住宅だったのですね。

同潤会 – Wikipedia

そして長屋造の人工街並みとのセットとして中心に配置された店舗の集まった部分が道路に対して斜めに口を向けた建物4つ、というわけでした。この長屋はのちに取り壊されて分譲されていきますが、十字路の部分だけは当時の面影を残し続けているということであるようです。

ちなみに、この十字路なのですが、都市計画図などを見ると大塚酒店が無い方の東側が外環道の地上部”外環ノ2″にもろに被ってしまっているので、十字路の風景がこのままずっと残り続けるかというと黄信号みたいですね。

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