第30回照姫まつりは練馬区独立70周年のお祭りだった?

照姫まつりステージ イベント
照姫まつりステージ

2017年4月23日(日)、石神井公園にて毎年春に行われる照姫まつりが開催されます。照姫まつり、ご存じない方用に説明をいたしますと、現在石神井公園がある辺りにあった石神井城で、15世紀に行われたとされる太田氏と豊島氏の戦いで三宝寺池に身を投げ果てたとされる照姫という女性を偲んで、毎年石神井公園で時代行列など往時の豊島氏を連想させる演目が行われるお祭りです。

照姫まつりステージ

照姫まつりステージ

歴史的裏付けが段々怪しくなってきたお祭り

お祭りの説明にされるが多いことに気付かれたかもしれませんが、この照姫まつりの主役の照姫は実際居なかったのではないかという説が、最近特に広く知られてきています。たとえば以前紹介した漫画の『東京自転車少女。』においても、史実としての照姫の不在や彼の父豊島泰経の終焉の地がこの石神井城ではない可能性が高いことなど紹介されています。また、そもそも照姫伝説自体が明治期の小説を元にした比較的新しい創作ではないかという説も主流で、照姫伝説の根拠の一つとされてきた石神井公園内の姫塚・殿塚についても創作より後にエピソードが付けられていったものと比定されているのですから、とにかく史実的にお祭りの根拠がボロボロになっています。

第30回照姫まつりの演目に別の歴史が混入?

そういった背景がありながら依然恒例行事として開催される照姫まつりですが、今年の演目として例年通りの時代行列や野外舞台上での照姫伝説再現劇の他に、練馬区独立70周年記念イベントというセクションの演目があることに気付かされます。
練馬区は今から70年前の1947年8月1日に、板橋区から分離独立する形で発足しました。この板橋区からの独立の理由は、市役所など板橋区の中枢機能を持ったエリアまでの距離が遠く、現練馬区エリアに住んでいる人々が行政サービスを受けにくいという理由であったそうです。確かに練馬区の西端から板橋市役所まで行くと10km程度はありますので、至極妥当な独立理由であるように思えますが、その独立を実現するには1932年の板橋区成立から足掛け15年の年月がかかったそうです。
15年…?戦前戦中の民意がままならぬ時代を挟んでいることを考えれば、それほど抵抗運動に月日を費やし塗炭の苦しみを味わった独立というようには聞こえないのですが(実際、戦後東京22区制が施行してからはわずか4ヶ月半で独立を達成している)、練馬区ではあくまでこの経緯を苦難に満ちた歴史と解釈し、練馬区の発足はあくまで”独立”として語り継いでいます(参考までに、独立60周年の際に作成された記念誌のリンクを)。
そうした背景をふまえた上で、この練馬区独立70周年記念イベントの演目を見ると、鷹狩・チャンバラ合戦・鉄砲隊演舞など、70周年をただ祝賀するには異様にきな臭いものがさらりと含まれています。なんだかこうして見ると、板橋区から武力で独立を勝ち取った歴史があったかのように錯覚しそうですね。

今後の照姫まつりは、練馬区独立の一大活劇になるべく

実際史実的に無かった可能性が高い豊島泰経の娘の入水と異なり、練馬区が70年前に独立したのは確実な事実です。これを元に祭りを行うのならば、歴史をちょっとかじってみた人々に「ただの小説を史実のように扱ったイベントを続けて馬鹿みたい」と後ろ指を指されることもありません。また、再現劇において練馬区民の感情移入のしどころがないという状況も避けられます。
そこで、いっそのこと30回続いてきた時代行列や照姫再現劇も、70年前に起こった練馬区独立の際のエピソードとして昇華してしまえば良いのです。独立を快く思わない板橋区から武者が攻めて来て、練馬区民が石神井城に篭城したことにしましょう。友好都市の上田市から、赤揃えの援軍が来たことにしましょう。入水した姫は、板橋区役所が遠いことを嘆いて三宝寺池に身を投げたことにしましょう。このようにすれば、独立という輝かしい歴史が風化してしまうこともありません。実際、練馬区側での独立の扱いと比べて、板橋区側では同区の歴史をまとめたPDF資料において”8月1日 農地委員会(農業委員会の前身)発足。同日、当区面積の60パーセントを分離して練馬区誕生”と触れられる程度の扱いになっており、あまり歴史的一大事とはみなされていないのです。このテンションの差は無視できません!

照姫まつりと伝説を別の史実をふまえて見てみるべき?

…とまあ、ヨタ話的な提案はどうでも良いとして、第一回照姫まつりが開催された年は練馬区独立40周年の年であったわけですから、照姫まつりの演目や再現劇のシナリオの中に、史実である練馬区独立を連想させる何かが含まれているんじゃないかという見方もアリでなのではないでしょうか。それは照姫伝説がこの地でどのように膨らんでいったかを考える上でも、意外と重要な要素であったりするのかもしれません。

最後に、余談ですが今回の記事の調べ物をしている際に、練馬区独立を都議会において最初に唱え演説を行った人物として加藤隆太郎という人が出てきたのですが、『東京自転車少女。』の主人公の加藤さんというのは、ここから名前を取っていたりします?

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